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アイラインとクレオパトラ

 アイラインは現代のメイク法として、欠かせないアイテムの1つであるが、いつ頃から、それがメイクとして始められたのだろうか?写真や、映像のなかった時代のことは、私達は残された当時の絵画や壁画、文書や遺物を通してしか推測できないのだが、おそらくその起原は古代エジプトの時代にまで遡ると言われている。

 遥か昔、紀元前4000年から5000年の間では、すでに壁画の象形文字に、黒く縁取った目が登場している。もともとは強い日差しや害虫の予防として、男女問わずアイラインを引くことが当たり前とされていた。やがて、それは権力者達の間で、壮大なる力のイメージを強調するために、より効果的な線を描いたりアイシャドウを塗ったりと発展していったらしく、起原前2000年を超えた辺りになると、口紅を塗ったり、眉を描いたりといった今のメイクの原型のようなものが頻繁に出現し始める。

 そのアイラインをメイクのアイテムとして世界的な規模で確立させたのは、紀元前51年から紀元前30年頃にエジプトの支配者として、女王として君臨した、絶世の美女としても名高いクレオパトラだったのである。当時から考えると実はアイラインを含めたメイクの方法というのは、今日に至るまで、ほとんど進化していないとも言える。
 当時のメイクに使う顔料は植物や野菜や鉱物だったりと、現代とは大きく異なるけれども、基本的なメイクの様相が全く変化していないのは、馬やラクダを移動手段としていたものがハイブリッドカーにまで発展したことを考えると、いささか驚きである。

 その紀元前から引き継がれてきた、メイクの原型は、もしかすると、変る必要がなかった、進化する必要がなかったと言えるのではないだろか?というのも、これはあくまでも個人的な分析でしかないのだが、それは、人類史上最も美しい女性と言われるクレオパトラがあまりにも美しかったからではないだろうか?

 当時、クレオパトラとローマ帝国の英雄シーザーは熱烈な恋仲にあり、エジプトとローマを2人とも行ったり来たりとしていたらしい。その恋物語を通して、まず最初にクレオパトラのメイクはローマに辿り着いた。そしてクレオパトラを目のあたりにした人々はその美しさの虜となり、そのメイク法やアイライナーを真似するようになったのではないか。
 また、ちょうどその頃、古代エジプトで職業として生まれた理美容業が、ローマを拠点にヨーロッパに普及し始めたらしく、それに伴いクレオパトラのメイクとその美しい幻影はヨーロッパ中に拡がっていった。さらに、年月とともに、その真似の真似の子孫たちが海を渡り、世界中に拡がっていったのではないだろうか?

 ビビアン・リーやエリザベス・テーラーの演じる映画クレオパトラを、見たことがない人には是非お勧めしたい。今日においても、その強烈な最上の美女クレオパトラのイメージは、私達に憧れと賞賛の声を上げさせずにはいられないであろう。
クレオパトラが確立させたアイライナーとメイク法、そしてその美しい幻影は、きっとこれからも永遠に私たちのDNAに組み込まれ、ずっとずっと先の未来まで引き継がれていくに違いない。その美しさは永遠の伝説となって、美の世界を君臨し続けるであろう。