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真田信繁って誰、真田幸村じゃないの

2016年の大河ドラマで大成功をおさめた「真田丸」ですが、その主人公は真田信繁です。ここである程度歴史に詳しい方は、真田幸村の名前ではなく真田信繁の名前を使ったのかと気が付けるでしょうが、わからない人には「誰?」と思われてしまうでしょう。そこで、今回はこの真田幸村という名前について解説していきたいと思います。

 

■真田幸村という名前は創作

 

真田幸村という名前は忠実には存在せず、創作であるという説が有力で、本来なら使われていない名前なのです。実際に参考文献として扱われる書物には幸村という名前は一切存在せず、歴史上の人物に「真田幸村」はいないという説が濃厚となっております。

 

この真田幸村という名前が登場したのは江戸中期以降の小説で広まるまでは確認することができていないのです。そもそも、この真田幸村という人物が登場したのは難波戦記という万年頼方と二階堂行憲が1672年に書いた書物で登場しており、この人物の扱いが真田昌幸の二男、つまり真田信繁のポジションで登場するようになります。

 

その後、この真田幸村という名前が一気に有名になるきっかけとなる「真田三代記」といった書物が出版され、真田十勇士といったキャラクターも追加されていくことになります。徳川家に対して奮戦するフィクションのストーリーとして真田家を使ったのですが、この活躍した人物の一人に真田信繁改め幸村がいて、江戸を中心に大人気となってしまいます。

 

ただし、この幸村という名前が付いた理由には諸説あり、正しいものは見つかっておりません。有力視されているのは仙台真田氏の使えていた藩主だった伊達綱村の「村」の字と真田家の通字である「幸」を組み合わせたものというものです。

 

こちらもちょっと年代があっていないので、間違いであると指摘する人もいる人もいますが、この「村」の字は徳川家を呪ったと言われる妖刀村正からとったというものもあるので、年代を気にする方はこちらの説の方が有力視しているのでしょう。

 

■なんで信繁の名前を使わなったのか

 

幸村という名前が有名になったのは、徳川家と真田家の創作話が人気となっており、その時に信繁ではなく幸村という名前を使っていたからという物でしたが、なぜ信繁問名前を使っていなかったのかは謎に包まれています。

 

これは諸説ありますが、一番しっくりくるものは、真田信繁が活躍するストーリーを描くと徳川家に恥をかかせることになり、逮捕される可能性があったため、創作キャラクターとして名前を敢えて変えたという説になります。幸村は架空の人物なので、何か問い詰められてもいいわけができるのではないでしょうか。

 

■三谷氏は可能な限り歴史に忠実にしたかった

 

真田幸村という名前が創作であることを、今回の真田丸で一気に広まったのですが、その背景については知らなかった人も多いと思います。三谷氏は「可能なかぎり史実に沿って書こうと思った時に、主人公の名前は信繁でなければならなかった」と述べており、多くの日本人に真田幸村=信繁という図式を成り立たせてくれました。このことは非常に大きなことと言えるのではないでしょうか。