Home>学生>あれ、教科書が昔と違う!?歴史編3
学生

あれ、教科書が昔と違う!?歴史編3

歴史の教科書はかなりの速度で色々と編纂されており、気が付けば私たちが習っていた常識の部分まで消滅するようになっているので、子供と親では一部の歴史的見解で隔たりができるようになってしまいました。そこで、今回は今の大人世代の方々が聞くとびっくりするような訂正箇所をお伝えします。

■士農工商が消える

昭和の時代の教育を受けた人々や、今の30代以降の人たちは江戸時代の人たちの身分制度には「士農工商」というものがあって、武士が一番偉くその次は年貢を納める農民がきて、職人や商人はその下であると習ったと思います。しかし、この士農工商の考え方は誤りだとして15年くらい前から教科書から消えつつあったようです。今では、殆どの教科書でこの言葉は記載されていないでしょう。

その理由は身分制度を表す言葉として不適切であり、士農工商という表現で捉えられていないというものと、上下関係の認識も適切ではなく考え方がおかしいという部分からきております。

そのことから、東京書籍では「士農工商」を廃止して明治維新でこの身分制度を改めた政策と認識されていた「四民平等」も連鎖して消えてしまいました。

イメージとして、昔の教科書準拠の人は「士→農→工→商→えた・ひにん」だったのですが、現在では武士の下に町に住む職人や商人がいて、村に住む農民や漁師等がいると考えられているのであくまで武士がトップではあるけれど農民が上とか商人や職人が下という認識はないのです。要するに武士→百姓や町人という考えとなります。えたやひにんもその社会から排除された外の人間という考えになっているようで、昔習った状況と大きく異なります。

■昔の身分を考えてみる

非常にざっくりと士農工商という言葉でくくってしまいましたが、当時の身分はどうなっていたのかを掘り下げれば間違いだったのかどうかも見えてきます。

まず、農民という意味だと思っていた「農」という言葉ですが、もともとこれは百姓だけを表すものではなく江戸に住む者の反対語として地方に住むものを農と呼んでおり海運業者・職人・漁師もこの農の言葉に含まれているという説もあるようです。

また工という言葉は職人と考えられていますが、モノづくりを都会でする方々はあくまで町人として扱われていましたので、「農」と「工」との間に身分差は無いと言えるでしょう。この時点で士農工商の考え方が歪みます。

さらに言えば、商人を意味する「商」という言葉は意味がないと言えるでしょう。商人の中でも経営に苦しい人は身分が低く扱われるでしょうが、富豪レベルの商人だと武士がお金を借りるためにお願いしに行く地位にいたので上下関係が逆転していた人もいるのです。実際に、豊かな商人の中には、「扶持米(ひちまい)」と呼ばれる給料を大名からもらう特別な立場にいましたし、一部の商人は武士の身分を与えられていたので、士農工商の考え方はこの時点で完全に破綻しています。