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あれ、教科書が昔と違う!?歴史編4

歴史の教科書を読むのは時間つぶしとしても非常に最適で、ちょっと面白いものを次々と発見できるものです。しかし、最近の教科書は昔私たちが使っていた教科書とは違っている部分が多く、「嘘!?」と思う記述が多数あります。今回はその4として昔と違う部分をピックアップしていきましょう。

■画像が有名人物と違う

歴史の教科書でよく話題になることは、昔使われていた有名人の画像が実は異なっていたということで扱いが変わるというパターンです。その中でも有名なのは江戸時代後期の博物図録集である「集古十種(しゅこじっしゅ)」に紹介されている「南北朝時代の騎馬武者像」に使われていた絵でしょう。このオリジナル画像は京都国立博物館が所蔵しているので、京都市にいる方は見に行くこともできます。

この絵で登場する人物が近年までは室町幕府を創設した足利尊氏の代表的な肖像画として長い間使われてきたので、教科書にもそのように明記され、今の大人たちはこの絵=足利尊氏という認識になっていることでしょう。

しかし、教科書の中にも長い期間足利尊氏として使われていたのですが、昭和12年に谷信一氏がこの画像が尊氏の肖像画であるという通説はおかしいと指摘しており、昭和43年に荻野三七彦氏が3つの根拠をあげて完全否定しました。

それは、騎馬武者の格好がおかしいという点、ざんばら髪を剥き出しにして太刀が抜身の征夷大将軍の自画像はあり得ないというものです。2つ目は太刀と馬具に描かれている家紋が足利家のものではないというところ。3つ目は画像の上部に据えられた花押が尊氏の息子の義詮のものであり、父の頭の上に子供がサインすることはあり得ないというものがあります。それ以外には、足利尊氏の馬は栗毛という伝承があるのですが、この画像の馬は黒毛なので違うと言われている根拠が大量にあるのです。

このことから、今の教科書ではこの画像を足利尊氏としては扱っておらず、「足利尊氏と呼ばれていた画像」等と扱っています。

ただし、この絵は南北朝時代の上級武将の特色を表しているものとはいえそうですので、無価値というわけではありません。

■西郷隆盛も違う

維新の立役者である西郷隆盛も画像付きで教科書にはよく乗っていますが、この西郷隆盛の版画は親戚を参考に想像で描写したものなので、あれは本人の顔ではありません。一説には、この版画はイタリアの版画家であるエドアルド・キヨッソーネ氏が、西郷従道という西郷隆盛の弟の顔の上半分と、西郷隆盛の父方の従弟である大山巌の顔の下半分を合成して、さらに合成したものから想像で描いたものと言われており、合成してから想像して描いているということから全く違う可能性すらあるようです。

この制作者であるエドアルド・キヨッソーネ氏は西郷隆盛との面識が一切なかったと言われており、版画として現代に残っているものの正しいのかわからない状態となってしまっているようです。西郷隆盛を知る人の意見が取り入れられた肖像画を作るために依頼をしたという説が有力ですが、親類の方々が満足したできなら似ている可能性のほうが大きいのでしょうか?