音楽業界において、ギネスに認定された日本人というのは非常に少ないです。今回は、その音楽業界においてギネスに認定されたすぎやまこういち氏にについて語っていきます。
■日本人でギネス認定された音楽業界の人
アメリカのギネス記録として認定された音楽業界の日本人は非常に少ないです。世界で最も売れた演歌歌手記録を持つ三橋美智也氏、1か国で最も速く売れたアルバム記録、そして最高齢でゲーム音楽を作曲した作曲家のすぎやまこういち氏が入っております。非常に少ないです。
この最高齢でゲーム音楽を作曲したとして認定されたすぎやまこういち氏は記録された年齢がなんと84歳292日とのことでした。
■もともとはテレビ業界の人だった
すぎやまこういち氏はゲーム音楽を作成する第一人者として非常に有名で、今の30代や40代のおじさん世代では「ドラゴンクエストの人」で高確率で通じるでしょう。
もともとはテレビ業界の人で某テレビ局に務めており一部の番組の音楽も手掛けておりましたが、CM音楽の作成も行いミュージシャンへの楽曲提供もしておりました。完全にテレビや芸能業界の人間だったのです。
しかし、著作権料の支払いなどで色々とトラブルが生じることでそのテレビ局を退社してしまい、その後も作曲活動やアニメの音楽を担当します。
1980年代になるとちょっと特殊な経緯でゲーム音楽を担当することになり、そこからはこれこそが天職としてゲーム以外の仕事を減らしてひたすらゲーム音楽を提供する人になります。
■もはや有名なエピソード
ドラゴンクエストに関わるようになったエピソードもなかなか逸脱で、覚えている人も多いと思います。事の発端はすぎやまこういち氏が他のゲームに送ったアンケート葉書がたまたま他のアンケートに紛れ込んだことで、とあるプロデューサーの目に留まり、本物だと気が付いたことで頼み込んでスタッフに引き込んだというお話です。
当初はスタッフの一員ではなかったのですが、ゲーム好きでアンケートを提出したところドラゴンクエストのプロデューサーが発見したことで産まれたつながりなのです。
実際に、すぎやまこういち氏はアンケートはがきに記載はしたものの投函はする気にならず放置していたとのこと。それを妻が気が付かないで投函してしまったことで産まれた奇跡的な縁なのです。一部の人たちからは「ドラクエに会うべくして会った」とすら言われており、そこから日本を代表するゲーム音楽家の巨匠が誕生することになるのですから、奇跡以外の何物でもないでしょう。
それ以降のドラゴンクエストシリーズはずっと同じ人が音楽を提供し続けており、一部の人たちからは「国家」として崇められております。本格的なオーケストラ演奏もファミコン時代のドラゴンクエスト3から始まっており、NHK交響楽団を使っての演奏CDもかなり売れ、ドラゴンクエスト4のCDも非常にたくさんの方に買われる出来となっておりました。
このように数々にエピソードを生んでいますが、今も元気に作曲を続けており、2017年の夏に発売される新作ゲームの曲も楽しみにしているファンがたくさんいるのです。